CAFE Ryusenkeiの旅 001

はじめに

 このブログは、約25年間にわたり音楽業界で働いてきた男性(ボクのことです)が、会社勤めを辞め、長年の夢だった箱根への移住を実現させ、アメリカのトラベル・トレイラーAIRSTEREAM で【旅するカフェ】CAFE Ryusenkeiをオープンさせるまでの軌跡を綴った旅の記録です。
 会社を辞めてからほぼ1年間、国内外さまざまな土地を旅しながら「観て」「触れ合って」「飲んで」「食べて」「感じた」ことを、個人的な視点からつれづれなるままに書き記したものですので、他人にはあまり面白くないかもしれませんが、視点(価値観と置き換えてもいいですが)を変えるだけでとてもゆたかな気持ちになれるということや、自分の足を使って行動することの大切さなど、みなさんがこれからの生活をおくるうえでひとつの指針やささやかな気づきになっていただければ幸いと思い、ペンをとった次第です。もちろん、これからカフェやお店を持ちたいと思っている人たちにとって、ボクの体験記が少しでも役に立っていただけたらこれ以上の幸せはありません。

2011.12.26

 今日、約19年間(正確には18年と10ヶ月)勤めたレコード会社に辞表を提出した。
 ちょうどこのひと月ほど前に、長年勤めてきた会社が外資系レコード会社に吸収されると発表があった。「あ、今が辞め時だな」と直感が働き、クリスマスの3連休で決断し、連休明けに辞表を提出した。たぶん1年後には長年勤めた会社は消滅してしまうことになるだろう……(実際には2013年4月に吸収合併)。

 2000年の声を聞き始めたあたりから、音楽業界全体の売り上げがゆるやかに右肩下がりになり始め、2005年あたりからその角度はますます急になっていき、2007、8年あたりからはまさに“急激”という言葉がピッタリなくらいに落ち込んでいった。時代の明らかな変化はCD売り上げの下降でヒシヒシと感じてはいたが、頭の隅では「信じられない、信じたくない」という気持ちがあった。音楽業界で働いていた人たちのほとんどが同じような想いだったのではないだろうか。その事実を認めてしまうとそこから先には進めなくなってしまうので、この数年間はあえて目の前の仕事だけに没頭していた。

 ボクには20代の頃からひとつの夢があって、50歳くらいで会社勤めを辞め、箱根・伊豆あたりに移住して、のんびり暮らすことを考えていた。元々が大分の自然豊かな土地で育ったことや、H.D.ソローの「森の生活」が好きだったので、その影響だろうか…

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 そして移住計画とは別に、2004年頃にはカフェをやりたいという具体的な想いが浮かび、ノートやPCに思いつくままにカフェのアイデアを書き溜めていた。
 きっかけのひとつは、自宅近くの本屋さんで、中川ちえさんの「おいしいコーヒーをいれるために」という本をたまたま手にしたことから。コーヒーの淹れ方(というよりコーヒーとの暮らし方)を美しい写真とステキな文章で紹介していて、単なるノウハウ本ではないたたずまいに感銘を受けたからだ。さっそく本の中で紹介されていたKONOのドリッパー・セットを購入し、まずは長年通っている近所のカフェでコーヒー豆(老舗コクテル堂の豆)を買って、毎朝ミルで豆を挽いてコーヒーを淹れるようになっていった。

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 そのうちにコーヒーに対する興味がだんだん大きくなり、いろいろなお店のコーヒー豆を買っては試し、喫茶店やカフェに行っても、コーヒーの味そのものを強く意識するようになっていった。知れば知るほどコーヒーは奥が深く、ますますコーヒーの魅力にハマっていくようになる。おりしもコーヒー業界ではスペシャリティ・コーヒーという新たな潮流が生まれ、世界的にもコーヒー豆のクオリティが飛躍的に向上していくのだ。

 もうひとつのきっかけは、2004年春に親友が伊豆の国市の標高600mの富士山をのぞむ別荘地に引っ越し定住生活を始めたことで、その友人は東京・神楽坂に実家があるにもかかわらず、週に2〜3度、伊豆と東京を往復して仕事をしていた。友人曰く、オンとオフの切り替えがしっかりできるので、仕事の効率もアップしたと。それを良いことに、仕事のない週末はほとんど伊豆の友人宅ですごした。おかげで、ボクはリフレッシュできたのだが、毎週末来られる友人としたらたまったものではなかっただろう(笑)。そんな友人の生活を見ながら、いつしかこの富士山を眺める別荘地に家を持って、週末だけでもカフェをやってみたいという夢が膨らんでいった。
 友人宅へは、西湘バイパス(個人的に日本でいちばん好きな道)〜真鶴道路を通る“海ルート”、小田原厚木道路〜箱根新道〜伊豆スカイラインを通る“山ルート”と、富士伊豆箱根国立公園の四季折々の自然を楽しみながらのオープン・カー(EUNOS ROADSTAR)でのドライヴは本当に素晴らしく、細胞が再生されるような気分にさせてくれた。
 そんなドライヴ・ルートのひとつである伊豆スカイラインの熱海山頂付近に滝知山駐車場があり、そこはまさに絶景のひと言で、富士山〜箱根連山〜相模湾(三浦半島、晴れていれば房総半島)〜伊豆半島〜駿河湾を360℃ぐるりと眺められる一大パノラマが楽しめるビュー・ポイント。こんな絶景の中で美味しいコーヒーを飲めたらどんなに幸せなことだろうと友人と語り合い、今度はカセット・コンロを持って来て、野点のコーヒーを飲もうと盛り上がったが、結局は実現していない(笑)。しかし、この体験が、後に移動カフェのアイデアにつながっていくので、人生はおもしろい。

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2013.1.14

 有給休暇を利用して、箱根へカフェの物件探しへ。
 先ずは芦ノ湖畔の元箱根へ向かい、界隈を歩き回りながらめぼしい物件を探す。
冬晴れの空にくっきりと映える富士山、芦ノ湖畔にたたずむ箱根神社の鳥居の朱色が美しい。何度も来ている場所にもかかわらず、来るたびに新たな感動がある。こんな素晴らしい風景を眺めながらカフェができたらどんなに良いだろうと、しばし夢想してみる。
 
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2013.1.31
 最終出社日。
 荷物を片付け、自宅に送る宅急便の手配を終えてから、社内のみなさんへ退職の挨拶まわりを。
「さようなら、そして、ありがとうございました」、約19年間、本当に素晴らしい会社で働かせていただきました。

2013.2.1
 今日から無職(笑)、しかし、心はとても晴れやかだ。
 夕方から、「ゼクシィ」の元編集長だったTさんが、退職祝いになかなか予約の取れないあんこう鍋の店・ほていさん(月島)を予約してくれたので、二人だけでささやかな宴を。
 退職祝いとしてCLUMPLERのポーチをプレゼントされる(このポーチは、3月から約1年にわたって国内外を旅する時の友となり、今でも常にバッグやリュックの中に欠かさず入っている大切な相棒)。Tさんはいつも大事なポイントでお会いするボクの大切な友人の一人で、会うたびにいろいろな気づきを与えてくれる。今流行りの“おもてなし”も、4.5年前からよく言葉にしていたことを思い出す。

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 2月はほとんど毎日と言っていいくらい、いろいろな方々が送別会を開いてくれた。本当にありがたいことだ….
 ボクの信念として、会社の看板や肩書きで人と付き合うことは絶対に止めよう、そして、自分も会社や肩書きに踊らされることなく、一人の人間としてきちんと人と接しようと心がけようとしてきたことが間違いではなかったと、あらためて感じることができた日々。損得だけで人と接していたら決してこんなありがたい状況にはならなかっただろう。